個性

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 生まれ育った親の家は完全なアウェーであり無許可で名前を借りる先ではあっても精神的な寄る辺であるとかホームではないと考えているからあの屋根裏のない二階建てを「実家」と表現するのが嫌で、今よりもずっと若いころのぼくが頭の中でぐるぐる考えた結果「親の家」という言い回しを発明できたのだけれども実生活で効果的に使えた場面が一度もない。

 これがけっこう悔しくて、ぼくだって有り触れた市井の小市民であるからには自分を特別に見せたいという欲求を当然持っているし、そのために家庭環境をダシにすることに躊躇はないのでどんどん可哀想ぶって行きたいのだが、そもそも日本全体で没落へと突き進む失われたこのウン十年ぼく程度の不幸なんぞ有り触れた話でしかないので大したアピールの材料にはならないのだった。どのタイミングで「実家を親の家と言い換え何かを匂わせる」カードを切ろうかと考えているうちに親が経営していた工場が潰れただとか母親が三人いるだとか発達に障害を抱えているせいで苦労しただとか借金取りから時間的猶予をとりつけるコツを発見できたなどという強力な波乱万丈系社会経験をつきつけられ何度「大変だったんですねぇ…」と貧弱な語彙で嘆息したことだろうか!?良識のあるインターネット民は【他人の辛さを否定するな】と教条のように唱えるが、辛さをカードに印刷してマウントパワーを競うTCGににしたのなら必ずそこに強弱は発生するだろう。ぼくは辛かった。日本で一番ではなかったけれども。

 つまり何を主張したいのかと言うと、最も辛いクラスタから見れば全然辛くない人生だったのが辛い。本当に辛い。不幸自慢すら潰されたのならどこで個性を出せと言うのだろうか。行政によって個性を尊重していただいた狭義のゆとり世代であるところのぼくだが思い返してみるとどのタイミングで個性を尊重していただいたのかまったく分からない。本当に行政が子供の個性を尊重した教育をしていたのならば今頃そこら中に個性豊かな大人が溢れかえっている筈ではないのか……?教育ってそういうものでは……?ぼくは吐いて捨てるほどに有り触れたどこにでもいる歌って踊るだけのこの世の屑だが……?円周率は3.14と教わったけれども……?

 あるいはぼくやぼくの周囲が失敗だっただけで、実のところ多くのゆとり世代は伸び伸びと個性を伸ばせる教育を受けたのかもしれない。社会に羽ばたいたゆとり世代は個性的な人間が多いのかもしれない。どのくらいの数の個性的なゆとり世代を見つければゆとり世代は有意に個性的であると言えるのだろうか。そもそも個性ってなんだよ。他と違うことをすれば個性なのか?それは「周囲と違うことをしたがる」という紋切り型じゃないのかよ。

 ぼくはどうすればいいんだ……?その他大勢と変わらないぼくはぼくをぼくとして生きるためにどうすれば……?どうすればいいんだ……?何を……何を目的にすればいいのか……?目的たりえるものは存在するのか……?手慰みを超えて糧になるようなものがどこかに存在するのか……?どこかに……?どこかってどこなんだ……?救われるような……運命を変えられるような場所がどこかにあるとでもいうのか……?

 

 

???「――て…」

ぼく「!?」

???「――来て…」

 

 

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 マギレコが楽しいので人生が楽しい。みんなもマギレコをやればいいと思う。

 

 

おわり