日記:一月四日

 ちんちんをスライスしたら断片がそれぞれ自己再生をし始めた。プラナリアやヒトデは真っ二つに切ると最終的に二体に分裂すると聞くが、僕のちんちんスライスがそれらの生物と違うのは自身を基点にして「僕」という肉体を再生するのではなく各々でまったく違った形状に変化したことであった。

 ひとつめのちんちんスライスは巨大な蛇となった。大きく開いた上顎が雲に届くとき下顎は海溝の底に触れ、頭が大陸の西で這うとき尾は東の果てで揺れる。剥がれた鱗が胴に纏わりつき積み重なって山脈となり、そこに暮らす人々は己が蛇の上に住んでいると生涯気づくことはなかった。
 ふたつめのちんちんスライスは小さな海亀になった。波に濡れ奇妙に照り光るその甲羅には世界に存在するあらゆる色合いが含まれていたが、しかしその美しさは誰にも理解されず、ただひたすらに孤独な生き物であった。
 みっつめのちんちんスライスは無数の蠕虫となって北方の土壌を埋め尽くした。それらはお互いを喰い合って無限に等しい時間を生きたが、ある夜に天から降り注いだ隕石によって身を燃やし死んだ。
 よっつめのちんちんスライスは一本の樹になった。天を覆うほど高く聳え立ち、その枝葉のひとつひとつが空に浮かぶ島だった。地はその根に抱かれて安らぎ、風が吹くたび梢の葉擦れは歌声のように心地よく響いた。
 そして最後のちんちんスライスは、人のかたちを取り、人の言葉を真似、人のように笑って人々の中へと溶け込んでいった。これが今どこで暮らしているのかは、誰も知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

おわり

日記:一月三日

 今日で正月休みも終わり。連休で使い果たしてしまったトイレットペーパーを買いに行く道すがら、目に入った道端の消火栓を、僕は蹴り飛ばして苛立ちをぶつけた。

 僕の抱えるストレスの巨大さに恐れをなしたのか、消火栓は文句のひとつも言わずにすごすごと逃げていく。そして消火栓が塞いでいた穴から勢いよく噴き出した濁流は、東京23区の低地を――庶民が暮らす下町を海の底に沈め、東京湾が昨日よりもいくらか広くなる。水底のワンルームマンションで暮らすことになった僕だけど、着衣水泳は得意じゃないから家では裸族。便所紙なんか溶けてしまって使い物にならないから当然うんこは垂れ流し。僕の尻から出たブツをパクつく魚を見ながら、「トイレットペーパーを買う必要もなくなったな」と苦笑した……ってワケ。

 

 

 

おわり

日記:一月二日

 まずあなたの中指の第一関節を切断し、第二関節には手を付けず指の根元を切断する(第一関節から上は根元にでも張り付けておく。達磨落としの要領)。そうしたら親指の第一関節を切断して、二つに分かたれた親指の間に先ほど抜き取った中指の部位を挿入。上下の切断面をそれぞれ接着する。

 この工程を経たあなたは、通常よりも長さのあるサムズアップを行えるようになる。

 サムズアップに通常よりも長さがあるならば示し得る肯定もまた通常より大きなものになるだろう。通常より大きな他者肯定を受け取ったあなたの仕事仲間や、友人や、パートナーや子供は、通常よりも豊かな自己肯定感を育み、自他を慈しんで世界を愛する心の余裕を持った人間へと成長するだろう。こう聞けば親指延長は社会集団の中を生きる上で誰もが行うべき手術であるかのようにあなたは思うだろうが、実のところそうではない。

 何故ならば通常よりも長さのある親指は、通常よりも長さのあるサムズダウンを行うことも出来てしまうからだ。

 サムズダウンに通常より長さがあるならば示し得る否定も当然通常より大きなものとなる。通常より大きな敵意、迫力、威圧感を前にして委縮したあなたと相対する者は、恐怖し、失禁し、抜けた腰を引きずりながら這って逃げ出すだろう。だがもし――もし敵対者のうちに恐怖を乗り越えあなたに抗おうとする者がいたならば、彼あるいは彼女は、親指と中指を切断し、そして薬指をも切断してあなたより更に長いサムズダウンを行う筈だ。

 一度そうなってしまえば、末路など世間知らずの子供でも予想がつく。あなたは敵対者とのパワーバランスを元に戻すため、薬指に加えて小指、人差し指、反対の手の指、足の指を切断し――そして敵対者もまったく同じように指を切断し続けるのだ。

 ここで重要なのは、人間の指は基本的にニ十本しかないという事実。そう、まともな生活を諦め、遂に手足の指ニ十本ぶんの長さが加わった親指を得たあなたと敵対者は、しかしお互いを屈服させることは出来ず、もはやどこにも進むことのない、永遠に決着のつかない膠着状態に陥ってしまうだろう。あれだけ身を切ったというのに悲しいかな、手足の指のほとんどを失った人間に就ける仕事は限られている。あなたは勤めている会社から首を切られ、周囲の人間からは手を切られる。残ったのは通常の二十倍近い威圧感だけ。それも代わりなどいくらでもいるのだ。何故って「親指を伸ばして存在感を高める」なんて発想は、誰にだって思いつく陳腐なものだから。人類史に幾度となく現れた通常よりも長さのある親指所有者たちは一瞬だけ眩く輝いて、それぞれ二十本という天井に阻まれ彗星のように消えていった。あなたもそのひとりになる。なってしまう。故に、あなたが通常よりも長い自制心を持っていないのならば、親指延長に手を出すべきではない。納得して貰えただろうか。

 ところで――人間の指の本数は必ずしもニ十本ではないことをあなたも知っているだろう。時に隠すべき奇形として、時に一種の“ギフト”として、多指症は様々な形で人類の歴史と共にあった。通常よりも長い親指所有者たちがそうであるように、ね。

 日本で最も有名な多指の人物を知っているだろうか?

 そう、豊臣秀吉だ。

 右手の指が一本多かったとされる彼が、天下を手中に収められた理由は――もはや語るまでもない。

 ここまで言えばもう分かるだろう。

 私の目を見てくれ。

 頼みがある。

 あなたにしか出来ないことだ。

 探せ。

 六本の指を持つ者を。

 

 

 

 そう言い終え、浮浪者は事切れた。

 袖の長いコートに隠された彼の腕を僕は取る。冷え切ったその手のひらに、生えている親指の長さは――――

 

 

 

おわり