別にオタクに限った話ではなくて、大人になれば誰でも創作物に対してメタ的な読み方をするようになってしまうと思うんですよね。つまりひとつの創作物として一歩引いた視点に立つということです。
仮面ライダーなんてのはそういう見方ができてしまう典型例かもしれません。ちょっと踏み間違えば「子供向けの番組に何をマジになっちゃってんの~」ってポロっと言っちゃいそうになるあの感覚は皆さん肌で知っていることでしょう。予算節制の努力が見え隠れしたりだとか、演出上の制約から生まれてしまうツッコミどころだとか、スーツの劣化だとか、ちゃちなCGだとか、旧作シリーズの俳優さんの客演が気になってしまったりだとか。すべて“裏読み”できる知識があるからこそ目が行ってしまう、虚構としての「平成仮面ライダー」の愛嬌であり、時には受け止め方に困る部分です。
でも、子供の時分、初めて仮面ライダークウガ(の2話)を観たぼくは、今とは違ってろくに話の内容も理解していなかったけれど、でも燃える教会の中で変身する仮面ライダークウガは真実味を持ってそこにいたし、最終回の後、五代雄介のことを忘れたくないと真剣に思っていたぼくがそこにはいたんですよね。
どういう見方が正しいとかではなくて、あのとき、ああいう気持ちになったのが平成仮面ライダーなら、この年齢になってもう一度ああいう気持ちにしてくれるのも平成仮面ライダーだったってことなんですよ。「終わらないでくれ~~~~」って思った映画はいつ以来なのか分かんないですね。「ずっと平成ライダーの世界に浸らせてくれ~~~~」って。客観的な分析なんかできる気もしない。仮に綺麗に終わらないことで映画としての完成度が下がってしまったとしても終わって欲しくなかった。何故なら「創作物としての仮面ライダーの映画」を観に行ったのに気がついたら「平成ライダーという世界」そのものに触れていたから。虚構である前に「平成ライダー」だったから。心の中のオタクを心の中のキッズが退けた。
無理して一歩引いて「仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER」という一本の独立した映画について考えるなら、まったく不満がない訳ではありません。
アクションはキレキレだし小ネタは多いしビックリするくらい技巧的なプロットをしているし佐藤健はガッツリ画面に出ている。特に褒めたいのが「自動操縦マシンビルダーから必死に逃げる一般市民」で、そりゃまあ現実的に考えてそうなるだろうなってものを濾過せずそのまま描くことで「現実世界の話」だと言外に匂わせるそのアイディアは仮面ライダーだからこそ成立する文脈芸です。けれど、「ダブル」の要素はあってないようなものだったし、本編で描写された筈のビルド時空の改変やアナザーライダー周りの設定については無視されていたようだし、電王関係の設定がご都合的に使われていたきらいもありました。そもそも「民衆の呼びかけに応えて現れる仮面ライダー」という展開そのものは目新しくはありません。
でもそういうことじゃないんですよね。ぼくが子供の頃から観てきた平成仮面ライダーがファンを見据えて真剣に総括をしようとしているんですよ。そりゃずっと追ってた訳じゃなくて離脱してた時期もあるけど、でも結局仮面ライダーは好きだし、これは「ビルドとジオウの冬映画」ってよりは「平成ライダーの映画」なんです。宣伝に嘘偽りなく「平成ライダーを愛したぼくのための映画」なんですよ。ぼくのための。だからぼくも童心に帰るんです。いや裏読みも楽しいし財力でパンフもムックも買ったけどさ!
仮面ライダーたちが次々に現れて民衆を助けるくだり、隣の席に座ってたキッズがお父さんに「あれは○○だよ」って小声で説明して、そしてお父さんも初期のライダーに反応してたんですよ。キッズが隣で喋っててなんか嬉しくなるコンテンツなんて他にないじゃないですか。そういうことなんですよ。平成ライダーだから成立する映画なんです。ぼくは平成ライダーが好きなんですよ……
平成は終わります。平成ライダーもジオウで終わります。だから平成ライダーを総括できるのは今しかなくて、この映画で一番エモくなれるのも今なんですよね。そういうことなんですよ。そういうこと……そういう……
かつて平成仮面ライダーが好きだった、あるいは今でも好きなすべての人のために真剣につくられた映画です。だから、かつて平成仮面ライダーが好きだった、あるいは今でも好きなすべての人たちが観るべきで、そして志に応えるべき映画だと、ぼくは思います。
龍騎が当たったので勝ち