地元の有名ローカルチェーン店ほぼ行ったことない問題

 僕は道南の産まれでラッキーピエロハセガワストアも存在は認識しているものの自発的に利用したことは一度もないんですよね。前者は観光客多すぎて入る気しなかったし後者はセブンイレブンやローソンと比較して店舗数が少なすぎて利用するタイミングが本当にないのでやきとり弁当食べたことない。僕の中では焼き鳥に使う肉は鳥です。(豚は鳥ではないため)セイコーマートは漫画の立ち読みがゆるゆるな店舗が家の近くにひとつあったので立ち読みのためだけに通っていましたが今考えなくても迷惑もいいところだ。

 別に悪感情はないんですが、『函館市民のソウルフード!』とまで言い切られると「毎年人口減ってるとは言え現在でも二十六万人住んでるんですよ????????最低でも二十六万通りの食生活があることくらい想像できませんか??????主語デカくないですか??????」とネチネチ絡みたくなるのもまた事実の一側面です。

 同じような境遇にいるのが僕だけだとはとても思えません。もっと広い視点に立てば、「何がさわやかだよしゃらくせぇ名前しやがって」って思ってる静岡県民や「駅弁のシュウマイ如きで名物面してんじゃねーよ」って思ってる神奈川県民も必ず存在するであろうことが充分に予想できるでしょう。四十七都道府県から“ソウルフード”に背を向けてきた地元飯に対して虚無の感情を持つ兵共(つわものども)を集め一緒に何かをしたいという気持ちはまったくないしなるべく関わりたくないとすら思います。だって絶対楽しくないし……食べたことないものをソウルフード扱いされただけでネチネチ絡んでくる人間と個人的に付き合いたい理由ひとつも存在しない。

 

 ラーメンハゲ漫画の違法アップロードを添えつつ「あいつは飯じゃなくて情報を食ってるんだ」と人間を揶揄するインターネットしぐさがありますが、考えてみれば飯に限らなくとも映画観るのだってゲームやるのだって何かしらの情報というか文脈を読み取って「楽しむぞ!」という気持ちにならないと楽しめるものも楽しめないんですよね。情緒に欠けた人間は何をしても心が弾まずいずれ絶望に至り、死にます。

 

 人間が感性を磨くのは幼少期から思春期にかけてでしょうか? 引っ越しの多い家庭でもない限りその時期を地元と、地元の文化の中で過ごすのが普通ですよね。だから人間が最初に感じる情緒は多くの場合「地元」という概念と密接に結びついていると考えられます。特に食事なんてものは一日三回行うようになっていますから、『口に入る機会が多い、地元の文化と密接に関係した食物』は成長期の人間の感性に多大な影響を与えると断言出来るでしょう。何かのついでに家族で外食した、だとか学校帰りに友達と食べた、みたいなあるあるノスタルジーエピソードは感性を磨く砥石のようなものなのです。つまり地元文化圏でソウルフードと認識されているものをまともに食べたことがない者はいずれ絶望に至り、死にます。

 今からでも遅くはありません。絶望の中で死ぬくらいならば県民性のステレオタイプに自ら飛び込んで行くべきなのでしょう。北海道民北海道民のように振る舞い、北海道民のような選択をし、北海道民のように生きれば北海道民のように笑えるのです。

 

 さあ、水曜どうでしょうの再放送を見ながらYOSAKOIソーラン節を踊りつつ北島三郎を口ずさみ流氷に乗って北方領土まで流される全身北海道人間になるぞ!!!!!

 


函館の女 『Hakodate no Hito』~ 北島三郎 【Kitajima Saburo】

 

 ソラで歌えるようになるぞ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

おわり