自動販売機

 多くの日本人が「自動販売機」という言葉を使うとき暗黙のうちに「飲み物の自動販売機」のことを指している前提を共有しているのは日本において最もありふれた自動販売機が飲み物の自動販売機であるためで、同じように「携帯」とだけ言えば携帯灰皿でも携帯食糧でもなく誰もが携帯している携帯物の王・携帯電話のことだし、「スーパー」とだけ言えば何かを超越することでもアメコミヒーローでもなくスーパーマーケットのことである。深く考えてるうちにゲシュタルト崩壊しそうになってくるな。

 でもこれって「飲み物の自動販売機」がたくさんある日本だから成り立つだけで、街角に何かを自動で販売する機械なんか並んでないような国で育った人に「自動販売機」とだけ言ったって「何の?」としかリアクションは返ってこないだろう。

 トートロジーっぽいが語彙というものは語彙が通用する空間でのみ通用するもので、本質的にムラのしぐさだ。言語圏というのは巨大なムラだと表現できるし、日本語圏の中にだって特殊な語彙で話すムラが無数にある。アカデミックな空間なんかが好例で、口語的な「暴力」と社会科学でいうところの「暴力装置」が国政の場でごっちゃになった話は延々と蒸し返されている。まあお偉い学問の用語だってムラの方言には違いないのだが、方言であることそれ自体は善悪の価値判断を挟むようなことじゃなく、ムラの外の語彙だけで中の言葉を解釈しようとしたり、ムラの境界から外に出ていることに無自覚であったりする態度が雑なのだろう。自然言語って面倒だな~~と思う。(ここで言う「面倒な自然言語」が何を指しているのかは読者のひとりひとりで可能な解釈を好きにカスタムしてください。君だけの曲解をつくり出せ!)

 もちろんムラの構成員は個人でもいい。自分だけの経験から自分だけの語彙を――「〇〇」=「△△」を持っている人は大勢いる。

 バカヤロー!オレがトマトジュースって言ったらGREEN DA・KA・RA すっきりしたトマトの事だろうがーッ!

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 これうまいよね。青臭くなくかと言って甘すぎずゴクゴク飲める。それにトマトを使っているので健康にいい筈。だってトマトだぞ。トマトが健康に悪いなんてことあるのか?

 あとサントリー系の自販機には高い確率で入っているのもよい。

 自動販売機はサントリー系に限るね。

 the Coke Side of Life!

 

 

 

 

 

おわり