日記:五月二十一日 読者ひとりひとりの心の中に「ぼくの考えた最高に面白いジョジョリオン」がある

「やっぱり能力バトルがいちばん面白いな」の気分になったので、ジョジョリオンを読み返している。

 シリーズでも異端作なの読者の皆が頷くところだと思う。荒木飛呂彦が「主人公は常にプラスに向かって行かなければいけない」という創作論を説いているのはファンに広く知られているが、「8部って全然そういうのじゃないじゃん」と首を傾げる人も多いのではないか。僕もそのひとりだ。ジョジョリオンにおいては東方定助が物語を通して何かを得たという感じがいまいちしない。何故だろうか。

 考えるに、「この世のものである限り避けられない厄災をこの世に存在しないものが乗り越えていく」ロジックというか構図がまず先にあったのではないか。だから定助は何も持たないし誰でもない、土の中から始まったゼロの人でなければいけなかった。常秀や豆銑さんと最後まであまり仲良くならないのも康穂ちゃんとそこまで深い関係を結ばないのも構成上の必然だったのかもしれない。

 ジョジョリオンは「呪い」を解く物語であるとされる。作中における「呪い」が具体的に何を指すのかファンの間でも未だに解釈が定まっていないが、東日本大震災が前提にあるのは合意が取れている数少ない部分だと思う。ぽっと出ラスボスと揶揄されがちな透龍だが、彼のスタンド能力が厄災の≒震災の象徴であるからには、存在自体は初期から物語の構想内にあったと考えるべきだ。

 とすれば定助が過去を求めていずれ厄災と対峙しなくてはいけないこと自体が、つまり彼が「存在しない者」であることそれ自体が、彼にとっての大いなる呪いであったように思える。(もう一歩踏み込めば、神=荒木飛呂彦に「存在しない者」として創造されたのが呪いだとも強弁できるかもしれない)

 ゼロでしかない彼がワンダー・オブ・U戦を乗り越え、プラスにでもマイナスにでも進み得る道の入り口にやっと立った、というのがケーキを選ぶくだりの不思議な爽やかさの背景にある……ような気がする。

 第7部スティール・ボール・ランはマイナスからゼロへ向かう物語であったが、ジョジョリオンはゼロであることから解放される物語だった……と考えれば釈然としない部分を幾つか噛み砕け……るだろうか……?かなり思い付きで喋っている自覚はある……

 いや普通に常秀とか京さんとか作並カレラと共闘した方が面白かったとも思う。中盤でミステリ路線が矛盾と破綻を起こしたのは大テーマとは別問題だしホリーさんの入院費問題は素直にミラグロマンで解決するべきだったし(常秀がろくに登場すらしないならアレ何のために挿入された短編なの?)ドロミテ戦はあんな決着するくらいなら全カットでいいしソフト&ウェットがどこまで奪えてどこから奪えないのか最後までハッキリしなかったのは釈然としないし憲助さんの死体をつるぎが運ぶくだりが無かったことになってるのは「ダメだろ」って思う。それアリなら描いてあるもの何も信用できなくなるからダメだろ。

 惜しい部分のある作品に「こうすれば良かったのに」みたいな妄言を偉そうに吐いちゃうのはオタクあるあるだと僕は思うんだけどジョジョ読者の皆はどうだろう。皆には皆の「ぼくの考えた最高におもしろいジョジョリオン」があるのではないか。みんなの最高ジョジョリオンを教えてくれよ。

 

 

 

 

おわり