日記:十月二十六日 おもくそネタバレ踏んだミステリ小説を読む回「Yの悲劇」編

 

 奇人変人ばかりのハッター家でひとが死んだり死ななかったりする話。横溝正史に影響を与えたり与えなかったりしたらしい。

 インターネットでおもくそネタバレ踏んだので気乗りせず、有名作ながらも未読だった「Yの悲劇」をふと思い立って読んでみた。

 

 意外と楽しめた。大ネタを知っているが故に「この描写はこういう意味合いがあるんだろうな」とパズルのピースひとつひとつの形を確かめるような読み方ができた。初読なのに二周目のような感覚。

 クイーンはトリックのダイナミズムよりかは情報を組み合わせて別解を潰していく論理性の作家なので、ネタバレをされても答えではなく答えを絞る途中過程を楽しむ小説として案外読めてしまえる。

 ただ犯人の非合理な行動を全部「〇〇〇だから」で理由付けしてしまうのはズルいというかそれアリなら究極なんでもアリにならんか?とは思う。特に凶器に関しての――何故マンドリンが凶器に選ばれたのかに関しての――真相には正直困惑してしまった。でも冷静に考えれば1930年代のアメリカならあんなもんだったのかもしれない。横溝正史が褒めてるのもこの部分なんだもんな。現代だと全然違う話になるんだろうなこれ。

 とは言え日本において国名シリーズを押しのけてクイーンの最高傑作扱いする人がいるのもまあ分かる。比較的に分かりやすく“意外な真相”だし、レーン氏はキャラクターとして魅力的な探偵だし(聴覚を失っているが完璧な読唇術を使いこなす底知れない老シェイクスピア俳優!)、ああいうオチが好きな人は多い。

 なによりも約90年前の時点で終盤のタイトル回収はアツい!という観念が既にあったことに感動した。だからこれからもたくさん見せてね。Yちゃんの悲劇…Yの悲劇を!

 

 

 

おわり