家でよく飲んでいるお酒

今週のお題「家で飲む」

おうちで乾杯!

今週のお題は「家で飲む」です。

雨も多くなるこれからの季節、お出かけするよりも家でゆっくりしたいという方も増えるはず。そんな中、家で一杯……ということも。今週は「家で飲む」をテーマに、はてなブロガーの皆さんのエントリーを募集します。「家で飲む時のこだわり」「家飲みの思い出」「ぴったりのおつまみ」「ノンアルコールの楽しみ方」など、あなたが「家で飲む」時のことについてブログに書いてみませんか?ご応募お待ちしております。

 

 何か月も放置しているのも善くないと思い、お酒を飲みながらブログを開いたところ、このようなお題を見つけたので久々に更新してみる事にしました。

 以下、家でよく飲んでいるお酒の紹介です。

 

サッポロ 99.99 クリアドライ

 

 特別旨くはないが、ごくごく飲めます。

 

ウィルキンソン  ハードナイン

 

 特別旨くはないが、ごくごく飲めます。

 

ストロングゼロ ダブルレモン

 

 もはや酒乱ネットミームとしても完全に飽きられているのでストロングゼロの名を挙げられたところで君たちはクスリとも出来ないのは知っていますが、それにしたって近所のスーパーで安く売られてるのがこれなんだから仕方がないでしょう。何か文句でもあるのか?それは安全圏から無責任に投げられる野次と同じではないのか?猛省せよ。

 

サンガリア ストロング チューハイタイム ゼロ グレープフルーツ

 

 業務スーパーで投げ売りされている安酒で、去年は完全にこれに頼っていましたが、最近生活水準がやや上昇したので業務スーパーまで遠出するモチベーションが下がった為に飲む機会が減りました。(生活水準の上昇がただちにQOLに繋がらないことがよくわかる)

 

 宝ハイボール レモン

 9%の日ではないな、と判断したときに呑むやつです。

 

 

 

 安倍ちゃーーーーーん!!!!!!酒税をバリ糞に上げてくれーーーーーー!!!!!!!!!!!!500mlのストロングゼロを一缶500円くらいにしてくれーーーーーーーーーー!そうすれば辞められるからーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!おれを助けてくれーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

おわり

スパイダーバース観に行ったら面白密度で殴り殺された

 いつか死ぬとすれば病気か労働にやられるものだとばかり思い込んでいたので、まさかスパイダーマンに殺されるとは予想もしていなかった。いま地獄でこの文章を書いている。こっちは現世に比べればずっとよいところです。

 

 さてスパイダーバースだ。TOHOシネマズのTHXスクリーンに座ったぼくがどんな鑑賞体験をしたのかと言えば、「オラッ面白いだろッ次はこれだッ次ッ!これもくらえッ!」と言わんばかりの面白映像連続ヘビーブローで肚を殴られ続ける二時間であった。

 実際面白いのだからこちらには反撃の余地などない。物語上の実質的な主人公、マイルズ・モラレスという有能だが未熟で、善良だが現状に不満を抱えた少年のひととなりを面白わちゃわちゃ3DCGの暴力で強引に知らしめ嫌でも彼のことを好きにさせる序盤シークエンス、この時点で「この映画ずりーわ映像が良すぎるもん」と圧倒されるがこんなものは全体のプロローグに過ぎなかったのである。

 デカい画面の中で全てのオブジェクトが常に何らかの意図を与えられ、それぞれに気の利いた演出でそれぞれの「面白」を示す。絶え間なく「面白」を供給される僕の口元は自然に緩み、瞬きなど身体が許さない。整理された混沌とでも呼ぶべき画作りにどれほどの手間がかかっているのか想像すらできず、「これ初見で全部把握できる奴いるのか?」と密度に恐怖すら感じる。そしてそれは物語が進みアクション要素が強くなっていっても変わらない…と言うよりむしろ過剰になる。

 わちゃわちゃする街の中を激しく動き回るスパイダーマン、彼らをぐりんぐりんと追うカメラワーク。そしてハチャメチャにオシャレなエフェクト!(スパイダーバースの陰の主役はオシャレエフェクトだと断言しても問題ないだろう!)2Dアニメーションでも実写でもなく、3DCGという表現方法だからこそ可能な自由度が2019年の最新技術で大爆発しているのである。あるいはスイングでNYを飛び回るスパイダーマンという存在がそもそも3Dアニメーションと相性が良かったのかもしれない。

 そして、個人的にとんでもないなと思うのが上記のどちゃクソにド派手な映像が、「マイルズ・モラレス」の物語に必要な演出と過不足なく完全に噛み合っていることだ。どうやってんだろうこれ? 脚本を映像を交互に参照しながら平行して構築した…? まったく途方もない。

  スパイダーバースはまだ「ヒーロー」に至らない未熟な少年が伸し掛かる運命と対決する物語だ。ただ映像が凝ってるだけのアトラクションムービーでも全然良かったのに、それだけで満足できる程の「面白」が映像に詰まっているのに、しかしアトラクションムービーであるよりも以前に新スパイダーマンの誕生譚なのである。

 マイルズの物語を最高の水準に押し上げるために奉仕する映像の洪水、面白圧力の連続パンチの前に「死ぬっ死ぬっ」 と喘ぐ以外に方法はなく、二時間ぶっ通しで面白に殴られたものだからエンドロールが上がったとき僕は二時間ぶっ通しで拳に殴られたのとさほど変わらないような消耗具合だった。ふらふらと覚束ない足元で大スクリーンを後にすると、フロントに並んだ椅子に空きを見つけて倒れるように座り込み、残った体力を振り絞ってTwitterに簡単な感想を書いた。

 そして…ひと息をつくと、僕の手からスマートフォンが零れ落ちた。

 屈んで拾おうとするが身体が動かない。当然だ、僕は二時間殴られ続けたのだ。映画が終わるまで命が持ったのがむしろ奇跡だったのだと言えるだろう。

 全身から命の火が消えるのを感じ、視界がブラックアウトする…

 かくして僕はスパイダーバースに殺されたのだった…

 

  面白で死にたい人は全員観に行くべきだと思います。たぶんなるべく設備の良い映画館を選んだ方が死ねる。

 以下ネタバレあり

 

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 余談。

 このマイルズの「ストリートのガキ」風ファッション最高にカッケーのと同時に「仮面ライダーゴーストって本来こういう方向性目指してたのでは…?」と思った。スーツアクターさんがマッシブだっただけでさ…

 

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 閑話休題

 この映画の最大の盛り上がりはやはりマイルズが叔父の死、そして父親の愛に向き合い「跳んで」、この世界の新たなスパイダーマンとして君臨するあの最高に熱くて爽快でやっぱりワチャワチャしている一連のシークエンスだろう。

 考えてみれば平行次元のスパイダーマン(ウーマン)(豚)たちが余りにも個性豊かな為に忘れそうになってしまうが、彼ら彼女らも言わばマイルズというヒーローが走り出すための補助輪のような役割を担っていた。

 繰り返すようにスパイダーバースはマイルズの映画で、「スパイダーマン:スパイダーバース」ってより「マイルズ・モラレス:オリジン」が正しいタイトルなのだろう。

  唐突に降ってきた運命に苦悩し、唯一の逃げ場であった叔父を最悪の形で失い、自分の無力を突きつけられ、一度どん底に落ちた少年が再起し――歴々ヒーローと肩を並べる、つまりは個人紙を持つ、 メタ的な意味で「スパイダーマンというヒーロー」になった演出のなんと気持ちの良いことか! 僕たちは彼の苦悩を一時間以上ずっと見守っていたからな。というか映像の力でむりやり画面にくぎ付けにされていた訳だけれど。ともかくマイルズに感情移入するように仕向けられた僕のテンションはまんまとぶち上げられてしまった。世界最高峰のクリエイターの手のひらの上で転がされる喜び。

 

 ところでちょっと悩んだ部分があって、と言うのも平行世界のスパイダー達の中で特に焦点が当てられる(駄目な方の)ピーター・パーカー、中年太りのオッサンと化してしまった彼とマイルズの関係は師匠と弟子、ベテランヒーローとサイドキック、というだけでなく、疑似父子として見るべきだったんだろうか? ピーターがさりげなく子供の話をし始めたとき、僕はそれをどう咀嚼したものか考えた。

 少なくとも(飯の喰い方が汚い方の)ピーターがマイルズを庇護し導く者、として描かれていたのは事実だ。

 「スパイダーマン」としてはともかく「ピーター・パーカー」としては堕落してしまった彼がマイルズの手を引くことを通して人間的に再起する…という話には全然ならなかったのが個人的には凄く嬉しかった。それやったらピーターの話になってしまうから。

 マイルズは(MJと離婚した方の)ピーターの自己犠牲を拒否して自ら戦うことを選び、ピーターは結局のところマイルズとはあまり関係なく自分で再起するきっかけを見つけた。

 もし「ピーターとマイルズ」に「父と子」という関係性を代入するならば最も注目するべきは二人の別れのシーンなのだろう。

 面白暴力ド派手ワームホールCGにピーターを落とし、ついでも言えば物理的に上に立ったマイルズ。

 ピーターが加速器を道連れに死ぬ必要などなかった。何故ならばマイルズもまた「スパイダーマン」なのだから。初めにこの世界のピーターを死なせてしまった時とはもう違うのだ。彼らは対等な「スパイダーマン」同士でリスペクトし合うという地平に辿り着く。

 そしてピーターを見送ったマイルズは、独力で持ってキングピンを打倒した。

 未来しかないヒーローが過去に囚われたヴィランを制し、その覚醒と戦いは実父との関係性の昇華をもたらした。この構図を見れば、もしかすれば「スパイダーバース」は少年の成長譚であると同時に、“父親”の子離れの話であったのかもしれない。

(太ってる方の)ピーターとのある種ドライで、さっぱりした師弟関係は、父子という精神的関係を描く上での現代的なアプローチであったようにも思える。父親っぽい父親が弱者を庇護する話なんて今どき流行らないのかもしれない(穿ち過ぎか?)

  ともかく新ヒーローは3DCGの祝福と共に誕生し、そして僕は死んだのであった。

 まあ死ぬなら死ぬでそれでいいけど、マジな話二時間全然気を抜けるタイミングがないのは辛い人には辛いかもしれない。(まあゆったりとしたペースの話を観たい気分の人が選ぶような映画ではないか)

 

 ちょっと調べたらを異次元組をもっと掘り下げて欲しかった…という意見をちょいちょいと見るが個人的にはそうでもなくて、この物語はマイルズ・モラレスという新たなヒーローの誕生譚であるのだからこの塩梅でちょうど良いと思う。もちろんペニーは可愛かったけど。

 たぶんこれ観る画面がデカければデカい程よく小さければ小さい程それなりになってしまう映画だから、ソフトなり配信で後々再視聴したときにどれだけ満足できるのか不安ではある。

 

  後は…グウェンのアクションをもっと観たかった。あのゴムっぽいスーツの尻最高にエッチじゃなかった?

 そもそもスパイダーマンがどっかに張り付くときのさ、あのポーズさ、エッチだよね、エロ蹲踞みたいでさ…エロ蹲踞良いよね…

 エロ蹲踞…

 

 最低のまとめだ。

 

おわり

仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVERに関する妄言(レビューではない)(ネタバレがある)(文章に客観性がない)

www.youtube.com

 

 

  別にオタクに限った話ではなくて、大人になれば誰でも創作物に対してメタ的な読み方をするようになってしまうと思うんですよね。つまりひとつの創作物として一歩引いた視点に立つということです。

 

 仮面ライダーなんてのはそういう見方ができてしまう典型例かもしれません。ちょっと踏み間違えば「子供向けの番組に何をマジになっちゃってんの~」ってポロっと言っちゃいそうになるあの感覚は皆さん肌で知っていることでしょう。予算節制の努力が見え隠れしたりだとか、演出上の制約から生まれてしまうツッコミどころだとか、スーツの劣化だとか、ちゃちなCGだとか、旧作シリーズの俳優さんの客演が気になってしまったりだとか。すべて“裏読み”できる知識があるからこそ目が行ってしまう、虚構としての「平成仮面ライダー」の愛嬌であり、時には受け止め方に困る部分です。

 

 でも、子供の時分、初めて仮面ライダークウガ(の2話)を観たぼくは、今とは違ってろくに話の内容も理解していなかったけれど、でも燃える教会の中で変身する仮面ライダークウガは真実味を持ってそこにいたし、最終回の後、五代雄介のことを忘れたくないと真剣に思っていたぼくがそこにはいたんですよね。

 

 どういう見方が正しいとかではなくて、あのとき、ああいう気持ちになったのが平成仮面ライダーなら、この年齢になってもう一度ああいう気持ちにしてくれるのも平成仮面ライダーだったってことなんですよ。「終わらないでくれ~~~~」って思った映画はいつ以来なのか分かんないですね。「ずっと平成ライダーの世界に浸らせてくれ~~~~」って。客観的な分析なんかできる気もしない。仮に綺麗に終わらないことで映画としての完成度が下がってしまったとしても終わって欲しくなかった。何故なら「創作物としての仮面ライダーの映画」を観に行ったのに気がついたら「平成ライダーという世界」そのものに触れていたから。虚構である前に「平成ライダー」だったから。心の中のオタクを心の中のキッズが退けた。

 

 無理して一歩引いて「仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER」という一本の独立した映画について考えるなら、まったく不満がない訳ではありません。

 アクションはキレキレだし小ネタは多いしビックリするくらい技巧的なプロットをしているし佐藤健はガッツリ画面に出ている。特に褒めたいのが「自動操縦マシンビルダーから必死に逃げる一般市民」で、そりゃまあ現実的に考えてそうなるだろうなってものを濾過せずそのまま描くことで「現実世界の話」だと言外に匂わせるそのアイディアは仮面ライダーだからこそ成立する文脈芸です。けれど、「ダブル」の要素はあってないようなものだったし、本編で描写された筈のビルド時空の改変やアナザーライダー周りの設定については無視されていたようだし、電王関係の設定がご都合的に使われていたきらいもありました。そもそも「民衆の呼びかけに応えて現れる仮面ライダー」という展開そのものは目新しくはありません。

 

 でもそういうことじゃないんですよね。ぼくが子供の頃から観てきた平成仮面ライダーがファンを見据えて真剣に総括をしようとしているんですよ。そりゃずっと追ってた訳じゃなくて離脱してた時期もあるけど、でも結局仮面ライダーは好きだし、これは「ビルドとジオウの冬映画」ってよりは「平成ライダーの映画」なんです。宣伝に嘘偽りなく「平成ライダーを愛したぼくのための映画」なんですよ。ぼくのための。だからぼくも童心に帰るんです。いや裏読みも楽しいし財力でパンフもムックも買ったけどさ!

 

 仮面ライダーたちが次々に現れて民衆を助けるくだり、隣の席に座ってたキッズがお父さんに「あれは○○だよ」って小声で説明して、そしてお父さんも初期のライダーに反応してたんですよ。キッズが隣で喋っててなんか嬉しくなるコンテンツなんて他にないじゃないですか。そういうことなんですよ。平成ライダーだから成立する映画なんです。ぼくは平成ライダーが好きなんですよ……

 

 平成は終わります。平成ライダーもジオウで終わります。だから平成ライダーを総括できるのは今しかなくて、この映画で一番エモくなれるのも今なんですよね。そういうことなんですよ。そういうこと……そういう……

 

 

 かつて平成仮面ライダーが好きだった、あるいは今でも好きなすべての人のために真剣につくられた映画です。だから、かつて平成仮面ライダーが好きだった、あるいは今でも好きなすべての人たちが観るべきで、そして志に応えるべき映画だと、ぼくは思います。

 

 

 

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 龍騎が当たったので勝ち

 

 

おわり