ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション感想(ネタバレなし)
夜中に突然虚無虚無の虚無の虚無の虚無になったので映画を観た。
IMFのエージェント、イーサン・ハントは謎の多国籍スパイ組織〈シンジケート〉を秘密裏に追跡していたが、催涙ガスによって敵の手に落ちてしまう。
目覚めると後ろ手に拘束されており、目の前には謎の女と、3年前に死亡したはずのエージェントがいた。
まさに拷問が始まろうとしたその時、女は驚くべき格闘術でイーサンを脱出させる。
ブラントからIMF解体を知らされたイーサンは〈シンジケート〉の殲滅を誓うのだが、彼は国際手配の身となっていた…。
組織の後ろ盾を失ったイーサンと仲間たちが挑む、究極の諜報バトルの結末はーー?
AmazonDVDコレクション商品ページより引用
トム・クルーズがアリババ資本を無限に溶かしながらトンチキSFガジェットを駆使して超絶アクションを繰り広げるサービス精神の塊みたいな映画。ゲットアウトよりは虚無に効く。先にこっち観れば良かったのかもしれない。
とにかく「サービス精神の塊」としか表現できず、公開時にも話題になったノースタントの飛行機へばりつきから始まりマシンガンのごとく矢継ぎ早にアイディアと資本豊かなアクションシーンが投下されるのである。トムが絞りあげられた筋肉を披露するとレベッカ・ファーガソンも鍛えあげられた太ももで応戦し銃弾が飛び交いスタントマンも飛び交い巨大セットは使い捨てられ各国の観光地でスポーツカーやバイクが爆発炎上する。
繰り広げられるは巨悪との対峙!緊張感溢れるミッション!レベッカ・ファーガソンの尻!国家レベルの陰謀!追い詰められるトム!ノースタントの公道カーアクション!レベッカ・ファーガソンのライダースーツ!チームの友情!手に汗握る駆け引き!鮮やかな逆転!レベッカ・ファーガソンのボディライン!中国資本でつくられた映画ということなのでゴリ押しサブリミナル中国要素に期待したのだけれど案外慎ましやかだったのは残念だった。ゴリ押しサブリミナル中国要素はサービスのうちに入らないという判断なのだろう。おれは急に伊利集団の低脂肪牛乳をおいしく飲み出すトムも観たかったが…
あまりにも貪欲に面白要素をぶち込んでいるが故に状況がどんどん移り変わっていくのが本筋のブレのように思えなくもない。時代の不安を反映した新しい類型の陰謀を暴く映画だとも、謎の女レベッカ・ファーガソンとの危険なロマンスの映画だとも、囚われのサイモン・ペッグを命をかけて救い出すブロマンスの映画だとも強弁できるだろう。まあ別にどのような軸で観ても許される映画のように思う。
ほんとうのことを言えばパソコンのちっこい画面で観るべきではないんだろうけれど。いま新作やってるんだっけ。行けば楽しいんだろうけれど虚無虚無の虚無の虚無の虚無の虚無の虚無の虚無なので……
虚無……
楽しい映画だった(虚無)。
映画「ゲット・アウト」感想(ネタバレなし)
夜中に突然虚無虚無の虚無になったので映画を観た。
黒人男性が恋人の白人女性の実家に挨拶に行くんだけど、そいつ等や周囲がどうも妙な連中で……という話。
面白かった。
ジャンル的にはポリティカル・ホラーと言ったところだろうか。前半の見どころは「あっ、こういう会話あっちじゃ地雷原なんだな…」という緊張感を軸にした巧みな緩急の付け方で、アメリカの社会のこと何も知らんぼくですら胃が痛くなりそうで再生止めて近所の自販機まで逃げたりした。(虚無になっているときに観る映画ではないのでは)
冗談じゃなく観客の胃を痛めつけるのがほんとうに上手い。何気ない会話と会話の間に漂う言外の感情やタテマエの居心地の悪さ、不可解な人物の不可解な言動や、そしてオブラートで包み込まれた差別意識。そういったものが積み重なって映画の中に奇妙な「場」が成立する。いやほんとこれがこえーのなんの。
レイシストの集団に放り込まれた訳じゃないけれど……公民権運動以前の時代にタイムスリップしたような……と言えばちょっとは近いがどうもぼくが知っている“差別”とは何が食い違っているような……そんな精神のざわつく「場」を、観客は主人公を通して追体験することになる。
いまいちピンとこないシーンもあったけれど、あれもきっと人種間の摩擦を体験している人ならあるあると膝を打つ「いつものやつ」なんだろう。後半に明かされる冗談めいた大ネタも、アメリカ――というか人種のるつぼを生きる当事者なら「黒幕」にある種の差し迫った共感すら持ちうるのかもしれない。
そんなスリリングなプロットを展開させつつ、ポリティカルな毒々しさで描写の意味をさり気なくミスリードするクレバーさなんかも兼ね備えていたりする。冷静な視点でじっくり練られた映画だと感じた。何周かするのも面白いかもしれない。
ちょろっと他の人の感想とかをググったりすると台詞の端々に何かしらの暗喩的な意味が込められているのではないかと考察されていて、その根拠はアメリカの歴史だったりスラングだったり使われなくなった言葉だったりするらしい。勉強が足りていれば今以上に楽しめたんだろうな。残念と言えば残念。
ともあれ虚無虚無の虚無になってるときに観るべき映画じゃなかったのは確かだ。
とてもつらい(虚無なので)。
『劇場版 仮面ライダービルド Be The One』感想 :おれはどんな顔をするのが正しかったのか
ネタバレ無しざっくり感想
・良い部分と悪い部分がいつものビルド。
・ジオウ本編の前振りっぽい要素があるので把握しておいた方が(たぶん)良い。
・ここまで追ってきた人間なら、まぁ、観て損はないのでは。お布施だお布施。
本編でやってきたことの語り直し、再確認、新たな角度からの肉付けという色が強かった。だから本編を観てない人に独立した一本の映画としてお勧めできるかと言えば実のところそうでもない。描かれているものは「仮面ライダービルド」という作品のサイドストーリーとしては正しいしパワフルだ。ビルドってあんなんだし、おれはビルドが好きだから、この映画もまあ、好きだ。
どんな顔で受け止めればいいのかは、ちょっと迷ったけれども。
以下ネタバレ有り感想
何故か『AtoZ/運命のガイアメモリ』の話もしている
(ところで現在youtubeで全平成ライダーの1~2話が無料配信されているのでW知らんという方は是非)
「仮面ライダービルド」が示し続けてきたもの
2018年8月8日午後、このタイミングを逃すとキツいという事情のもと大雨にビニール傘一本で立ち向かい、命からがらTOHOシネマズに辿り着いたおれを待っていたものは、
著しく自我の弱いゾンビめいた大衆、いまいちキャラの弱いトンチキ宇宙一族、クソギャグ、クソギャグの中で輝きを放つ内海とヒゲ、人類理解の解像度でトンチキ一族に「わかってねぇなぁ~」圧をかます人類クソオタクエボルト(マジでいい加減にしろよお前)、そして圧倒的な戦兎×万丈要素だった。
ずぶ濡れになった戦兎が内面世界で葛城巧と対話し、自分にとって万丈がいかなる存在なのか語ったとき、おれは困惑していた。あまりにも描きたいものがはっきりし過ぎている。あの場の湿度を上げていたのは台風13号以外の何物かに違いなかった。
ビルド殲滅計画はメタ的に言えば戦兎の逃げ場全潰し計画だった。市民に手荒な真似はできない玄徳と一海は早々に本筋から隔離され、洗脳に抵抗力を持たない美空と紗羽さんは敵に回りこれもまた本筋から隔離される。
出来上がったのは囚われの万丈まで続く一本道の物語である。弱きりった顔のイケメンが水を滴らせながらイケメンの話をするシーンを観て、おれはどんな顔をするのが正しかったのか? おれはいったい何を観たのだろうか?
今振り返っても映画の内容の大半はラビットドラゴンフォームの、より正確に言えばラビットドラゴン変身シークエンスから敵撃破後のピロートークまでの戦×万いちゃいちゃの前振りに過ぎなかった。
作られた人格、空っぽで偽物のヒーロー「桐生戦兎」は、しかし万丈龍我にとっては唯一手を差し伸べてくれた本物のヒーローで、万丈の存在があったからこそ戦兎もまた愛と平和のために戦う仮面ライダーを自認することができる。その話本編でもう何度もした気がするけどでもそれがビルドなんだよな。戦争の悲劇とか科学の功罪とか宇宙的脅威との対決じゃない、この作品が繰り返し示し続けてきたものは戦×万なんだよ、どちらかの顔を曇らせつつの戦×万リフレインが『ビルド』なんだ……
だから劇場版がブロマンス要素に満ち満ちるのも必然なのだろう。
玄徳と一海の描き方がギャグに振れ過ぎている? 彼らに尺を割くわけにはいかないからアレでいいんだ印象に残ったろ最後にはカッコよく決めたし。トンチキ一族に個性を感じない? 奴らはそもそも戦兎と万丈を引き離すための装置なんだから個性あっちゃ駄目なんだよ軸がぶれるだろ。
ただの舞台装置にしたって大衆がいくらなんでも無思考すぎる? それは……まぁ、うん……
民衆の描き方
平成2期仮面ライダー第1作の夏の劇場版、未だ語り継がれる名作であるところの『仮面ライダーW FOREVER AtoZ/運命のガイアメモリ』はTV本編が積み重ねてきた「街を守るヒーロー」という横軸の総決算だった。
ガイアメモリを巡って醜く争った風都市民ではあるが最後には仮面ライダーに願いを託す。画面に映るのはこれまで助けてきたゲストキャラクター達。人々の、街の想いがヒーローに力を与え強敵を打ち倒す。暗に示されるのは大衆の善性である。
さて翻ってビルドでは洗脳される前から「殲滅!」コールである。ことが終わった後も特に自己批判のようなものは見られない。っていうか多分あいつら本編で手のひら返す暇もないまま大半が消滅しそう。
考えてみればビルドは「主に東都で活動するヒーロー」であって「東都を守るヒーロー」ではなかった。ビルド作中における市民の描き方は常に一歩引いたものであったし、だからこそ名もない無辜の民が戦禍に巻き込まれる悲惨さでもって戦争の痛みというものを効果的に演出できたと言える。その点でビルドとダブルと好対照だ。
次作ジオウがイベント性の強い作品になることを考えれば、ダブルに対応する“最後の平成二期ライダー”はビルドだと言い切っても許されるだろう。そのビルドの劇場版で、ダブルの反転のような民衆の描き方をするのは、もし意図的にやっているのだったら称賛に値するヒーロー観の発展であるように思う。何故って助ける人間を選り好みした時点でヒーローとは言えないからだ。
あんだけ屑だ屑だと言われる風都市民も、結局のところ『AtoZ』では“助ける価値のある”善良な人々として希釈された。
善良な人もクソ野郎も命の価値はまったく等しい。そこに優劣をつけて許されるのは神様だけで、ヒーローは神様ではない。愛と平和のために戦うヒーローにクソ民衆が群がるのはシチュエーションとしては有りだと思う。一種の思考実験だ。大衆は乗せられやすくて細かいことはいちいち気にしないバカばかり、ともかく『Be The One』ではそういうものだとして受け入れよう。『AtoZ』の民衆が何だかんでヒーローのために祈ってくれる奴らなのとまったく同じように。
命を張って守ってきた人たちに「仮面ライダー」の存在を否定されたとき、何を根拠にして戦いの場に立つのか。
追い詰められた桐生戦兎にとっての根拠は、「仮面ライダー」がいなければ喪っていただろう大切な人達だった。美空や紗羽さん、ライダーの仲間たち、そしてほんとうのヒーローとしての「桐生戦兎」を形作ってくれた万丈……
万丈を救うために戦兎は立ち上がり、モーセめいて民衆の海を割る……
もはや“愚かな大衆”などエキストラ何百人集めようがただの書き割り背景。戦兎はもはやブラッドすら見ていない。彼の視線の向かうのは相棒だけ……
結局戦×万ブロマンスじゃねーか。
これはヒーロー概念へのアプローチの差もあるように思う。街に「仮面ライダー」の名を与えられたヒーローであるところのダブルなのだし、そのヒーロー性を突き詰めるプロットは当然「街」の話になるだろう。
そして「愛と平和のために戦う者」がヒーローとしてのビルドである。愛とは? 平和とは? どちらも良き隣人との調和によってもたらされるものだ。戦兎の最も良き隣人は万丈であろう。
やっぱりブロマンスじゃねーか。
ビルドとダブル、やはり好対照である。
なんとデザインも似ている。(それだけでは?)
なので最も正しい顔は
「事実上のセックス&出産おめでとうございます!」と祝福する笑顔、で間違いないだろう。
合体中にラブアンドピースでフィニッシュを試みるのってなんかの暗喩か?
そう前提すると万丈は行為中はあまり喋らなくなる奴という解釈で正しいのか?
おれにはわからない……なにも……
あと松井玲奈さんが旧民主党から出馬してそうなリアル感あってよかった。
ざっくりルパパト感想
・もしかして圭一郎は身一つで城壁登り切ったのだろうか。
・国際警察の権限は異世界の法律にも及ぶのだろうか。
・カメラがぐんぐん引いていって実はめっちゃ広い場所で長回しアクション撮ってたことが判明するやつもっとやって。
・新ロボの実物着ぐるみ新造せずCGだけでゴリゴリ動かすやつはやったりやらなかったりして。
・先にこっちでサプライズ合体観たからラビドラのほう別の意味でどんな顔すればいいのか分からなかった。
こっちは良きライバルの存在を敵にドヤる話でしたね。 演出凝り過ぎなので単体のアクション映画として観ても面白いように思う。
まとめ
「ビルド」を楽しんで観てきた人なら楽しく観れるはずだと思う。おれは楽しんで観れた。
お話そのものが飛びぬけて面白いかと言われればそうでもない。
ジオウパートがライダー大戦すぎて困惑した。