でっけぇでっけぇ肉が食いたい

 食べたいのは別に牛のステーキとかではなく「でっけぇでっけぇ肉」という概念で、強いて言うならば槍を担いで自分の手で狩ったマンモスの肉を焚火で焼いたものが近い。血の滴るでっけえでっけえマンモスの肉に獣のようにかぶりつけばその間だけは救われる気がする。溢れる熱い肉汁で口の中を火傷しそうになりながら、手や口が汚れるのも構わず思いっきり食いちぎれば、その瞬間でっけぇでっけぇ肉と僕だけで世界は完全に完結する。他に何も要らない。

 でもマンモスは絶滅してしまった。様々な要因が組み合わさった結果だが、大昔の人類が狩り過ぎたのも原因のひとつらしい。大昔の人類も救われたかったのだろうか。大昔の人類にも色々な悩みがあったのかもしれない。『オレの人生って狩りと交尾を永遠に繰り返して終わるの?』とか『この狭い集落の外を見ることなく死んでしまうの?』とか『あの高い山の向こうに何があるのか一生知ることは出来ないの?』とか。世界がシンプルだから、一度実存の危機に陥ってしまったら逃げ道のなさは現代の比でないに違いない。マンモスのでっけえでっけえ肉を大口開けて頬張らなければやっていけなかったのだろう。

 そうやってマンモスを狩り尽くし、でっけえでっけえ肉で自分を誤魔化すことが出来なくなってしまったから人間は綺麗な石を綺麗な形に彫ったり、固めた土に模様をつけて焼いたり、夜空を見上げて星を数える慰みを覚えたのだろう。星と星とを繋げるのはマンモスを知らない世代が始めた遊びの筈で、そう仮定すれば世界中のどの星図にもでっけえでっけえ肉座が存在しない不思議を説明できる。でっけえでっけえ肉という『完全なもの』の喪失と、欠けた部分を埋めて完全に近づこうとする試みが、我々が文化と呼ぶものの萌芽だったのだ。

 そして不完全な“死すべき者”たちによる『完全なもの』への考察や憧憬や祈りが宗教の根底であるならば、人類史で最も古い神はでっけぇでっけぇ肉を置いて他にない。不変のものの象徴としての石/移ろうものの象徴としての食物の二択によって人間の運命を説明する神話類型、いわゆるバナナ型神話において腐りやすいもの=死の運命を背負った人間のメタファーにされるのは読んで字のごとくバナナ(等の果物)だが、でっけぇでっけぇ肉だって放っておけばすぐに腐るし常温保存の難しさならこっちの方が勝っているのだから本来後世に伝わっているべきはバナナではなくでっけぇでっけぇ肉型神話なのは言うまでもない。にも拘らず何故でかくもなくマンモスでもないバナナがその位置にいるのだろうか?

  邪推するに大昔の人類にも『肉ばっか食ってる不健康なデブだと思われたくない』『野菜や果物をバランス良く摂取しているアピールをしたい』といった見栄があったのではないだろうか。原始宗教のその黎明、人々の間で形作られた抽象的イメージを物語に乗せて正しく伝えるには石とでっけぇでっけぇ肉の二択であるのが妥当だった。しかし下らない雑念によってでっけぇでっけぇ肉神話は歪められてしまったのだ。

 つまるところ、プライドのために現実を捻じ曲げたりだとか、本当に大切な知恵を埋没させたりだとか、そんな愚行を人類はマンモスの絶滅からこちら延々繰り返しているのである。

 では、これまでがそうであったように、これからも人類は高慢に高慢を塗り重ね続けるのだろうか? 歴史書の最後の一頁までつまらない争いで埋まってしまうのだろうか? 真綿で首を絞めるように緩やかに滅んでいくしかないのだろうか?

 いいや、そんなことはない。そんなことはないのだ。

 

 

natgeo.nikkeibp.co.jp

  今後は、「YUKA」のように状態がよいサンプルから、DNAやタンパク質情報など、マンモスを構成する情報を集め、それらの情報を基に新たにマンモスの細胞を合成することを考えています。細胞が合成されれば、iPS細胞技術を用いて精子と卵を作出し、受精を経てマンモスの胚を作製します。また、並行してこのマンモスの胚を育てる人工子宮が開発されれば、マンモスを再び見ることができるかもしれません。

 

 

 価値の相対化が突き詰められた現代において、『完全なもの』は生きる為の指針には成り得ない。具体的に参照出来ない概念上の存在でしかないと見做されるか、あるいは何百万年も前に絶滅してしまってもう食べられないからだ。故に人間は悩み、迷い、間違った道に入り込んで徒労の中で短い一生を終える。

 けれど――もし、マンモスが氷河期のままの姿で現代に蘇ったのなら。

 槍を担いで自分の手で狩ったでっけぇでっけぇ肉をこの手に掴みとれるなら。

 それはイデアの顕現である。道徳の終着点である。“人は何の為に生きるのか”の答えである。

 

 想像して欲しい。

 あなたが立っているのは、野生に還った再生マンモスの群れが踏み均したビジネス街。かつて四角く切り取られていた青空はビルが破壊された為にどこまでも広く、あなたの足音が意外なほど遠くまで響くのは煩い車など一台も走っていないからだ。

 瓦礫の山を乗り越え、無秩序に枝を伸ばし巨大化した街路樹を伝い、マンホールから溢れかえった下水道の毒沼を何とか避けて進んだあなただったが、突然地面が激しく揺れ出し、よろめいて倒れてしまう。

 すわ地震かと慌てるあなただが、それは勘違いだ。アスファルトに亀裂が入る音がして背後を振り返ると、そこに建っているのは巨大地下駐車場。文明が生きていた頃には地下への入り口だった、下り道の広い通路が見える。

 そして、その暗闇の奥からのっそりと現れたのは、言うまでもない。もうわかるだろう。巨大な体躯と荒々しい毛並み、鋭い牙と武器足りえる鼻を持った、オスの再生マンモスである。

 再生マンモスは己の巨大さに比べてあまりにもちっぽけな人間にはろくに目もくれず、大地を揺らしながらあなたの真上を跨いで通り過ぎると、あなたが必死になって避けた毒沼を平然と踏み越え、街路樹を薙ぎ払い、瓦礫の山を太い鼻と牙で吹き飛ばし、ポスト・アポカリプスの世界の果てまで届くような大音量で高らかに吠えるのだ。

 空気がビリビリと震えるのを感じ、あなたの肌は泡立つことだろう。

 あまりにも雄大な再生マンモスの姿に何も言葉も出ないだろうが、もちろん、街を闊歩する獣は再生マンモスだけではない。

 再生マンモスの雄叫びに興奮し、立派な角を怒らせ鼻をフンフンと鳴らす再生オーロックスが突然暗くなった空を反射的に見上げると、太陽を隠したのは再生ペラゴルニス・サンデルシの数メートルに及ぶ巨大な翼だ。風を受けて羽ばたくと同時に抜け落ちた一片の羽毛が、役所だった建物の屋上から街を観察している再生サーベルタイガーの鼻の上に落ちる。

 

 そして、へたり込んで再生アニマルを見上げるあなたの腕の中にある、折れた道路標識を削ってつくった槍は、巨大な獣たちを屠って余りある大きな力だ。あなたが持つ、あなただけの、あなたにしか振るえないあなたの力だ。

 リュックサックの中の燃料にはまだ余裕がある。街路樹まで戻れば薪なんていくらでも集まるだろう。炎が獲物の屍肉に与える熱は、逆説的に生命を喰らっているとはっきりと実感させてくれるに違いない。

 再生アニマルたちはあまりにも巨大で、一度対峙すれば生きて帰れる保証はない。どちらが獲物かわからない、狩るか狩られるかの世界だ。

 しかし、だからこそ。

 あなたは立ち上がり、口角から溢れる涎を拭い、呟くだろう。

 でっけぇでっけぇ肉が食いたい、と――。

 

 

 


ほえろ!マンモスくん

 

作詞・作曲:児島由美

 

あさ めがさめて

まど をあけたら

おおきな ゾウが

たっていたんだ

ママに きいたら

フライパン もったままで

あれは マンモスくん

きばが あるでしょ

むかしのほしから やってきて

ビルのくにに つきました

だけど ちょっとさみしいです

こわい くるま ばかりです

 

※ほえろ!マンモスくん

ほえろ!マンモスくん

もえろ!マンモスくん

ほえろ!マンモスくん※

 

よる ほしがでて

おふろに いくと

おおきな ゾウが

のぼせて ゆぶね

パパに きいたら

はぶらし もったままで

あれは マンモスくん

ながい はなだろ

こおりのほしから やってきて

ビルのくにに つきました

だけど ちょっとかなしいです

せまい おふろ ばかりです

 

(※繰り返し)

(※繰り返し)

 

 

 

 

 

 

おわり

『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』感想、仮面ライダーの映画っぽい仮面ライダーの映画久しぶりに観た気がする

 クリスマスを前にしてぼっちがどうのモテがどうのとネットで喚くのがユニークだった時代はとっくに終わっていて、では令和のクリスマスに何をすればいいのかというと仮面ライダーの映画を観に行くのが最もクールです。

 という訳でクリスマスイブ、『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』を観に行った僕は「ゼロワンって近未来とかじゃなくて2019年の話なんだ!?」と衝撃を受けたのでした。

 以下ネタバレあり。

 

 


『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』予告映像

「・・・夢を忘れず、戦え」 或人が目覚めるとそこは、いつもの日常ではなく人工知能搭載ロボ・ヒューマギアに支配された世界だった・・・!社長の座もヒューマギア・ウィルに奪われ、ヒューマギアたちの人間抹殺が激化する最中、現れたのは仮面ライダーの記憶を失くし、学生として過ごしていたはずのソウゴ・ゲイツツクヨミ、そしてそこにはウォズの姿も。 元いた世界を取り戻すべくソウゴたちとともに12年前にタイムトラベルした或人を待ち受けていたのは、仮面ライダー1型なる兵器を開発しヒューマギアを守るために戦う父親ヒューマギア・其雄と、謎のタイムジャッカー・フィーニス。何故、其雄は仮面ライダー1型になったのか。フィーニスの本当の狙いとは一体――。そして世界のゆがみはどうなってしまうのか!? ゼロワン誕生に隠された、親子の“夢”の物語がいま始まる――。 

 

東映オフィシャルサイト*1より引用

 

 

 MOVIE大戦っぽかったですね。令ジェネは平ジェネよりMOVIE大戦に近いのか。

 前作と現行作のクロスオーバーを卒なくこなすという意味で、冬映画冬映画した冬映画でした。もっとはみ出したことをしてくれ……みたいな感想はまったく無くて、何でって前作劇場版があのジオウOQですからね。むしろ落ち着いてくれて嬉しい。

 

 もくじ

 

労奴としてのヒューマギア

 ヒューマギアの反乱を奴隷解放と暗に重ね合わせるプロットは、“仮面ライダーゼロワン”という物語の倫理観というか、「そこを適当にされたら素直に楽しめなくなってしまう」ラインを突いているように思います。ヒューマギアと人間が共に歩む社会は、片方の無償の奉仕が前提になっているものなのでしょうか。

 まあ僕は労働から解放されたいので機械に権利主張されたら凄く嫌だなあという漠然とした気持ちがあるのみですが、でもヒューマギアはやりがいだけ対価に笑ってろ、なんてのもフェアじゃないのは事実ですよね。

 そして、人間とヒューマギアが笑い合える未来を唄う或人は両者に対してフェアであるべきですし、問題が問題として提示されたからには何かしらのアンサーを出すべきです。

 残念ながら本作の中で直接的な答えが提示されることはありませんでしたが、ウィルに静かな怒りをぶつけられたのは飛電是之助先代社長だけで、ウィルの自我の萌芽そのものを直接或人に目撃させない展開は(綱渡りみたいなものではありますが)何とか引っかからずに済むギリギリのバランス感覚だったように思います。

 これは問題そのものを有耶無耶にしたのではなくて、簡単に結論付けられることじゃないからここでいったん布石のひとつとして置いておいて、本編で答えを出すための前振りだと信じておきましょう。『エグゼイド』最終回でデータと生命の境界線に言及した作り手がまた集まってるんだから、あのセンスオブワンダーをもう一度期待しても大丈夫だと思います。

 たぶん。

 

人間にとってのディストピア 

  それにしてもカッケーのが1型と001の二大劇場版限定ライダーで、無骨なデザインもそうですが目まぐるしく動く戦闘シーンが等身大特撮の喜びに溢れ、ひたすらに脳から快感汁が出まくりました。スパイダーバースの時にも思ったけどエフェクトがカッコいいとそれだけで嬉しくなっちゃうんですよね。001の黙示録の蝗害めいた変身エフェクト、厨二マシマシで最高です。

 そしてライダー戦に限らず、全体的にアクションがとんでもなく素晴らしい映画でもありました。

 特にレジスタンスの乱戦が気合入ってましたね。僕はライダーの生身アクションすぐ飽きちゃうほうの特撮オタクなんですけど今作に関しては見せ方がド派手なのでかなり楽しめました。すぐ飽きちゃうほうの僕ですら楽しめたのだし生身アクション全然OKのほうの特撮オタクが観ればより楽しめるんでしょう。発射される銃弾は多ければ多いほどよい。

 全体的に重めのトーンで進む物語は、より現代的にリファインされた『パラダイス・ロスト』のような絶望感があります。しかし『パラロス』と違うのは、絶望的ディストピア*2の中でも“敵”との共存が(非常に困難ではあるが)可能なものとして描かれ続けていることで、だからゼロワンが描きたいのも最終的にはここに回帰するのだと予想します。

 そして父と笑い合うために、平成を超え、ディストピアを超え、新たな時代の1号ライダーとしての矜持と共に高らかに宣言される必殺技の名を『ライジンユートピア』!掲げる願いは自分と父だけでなく、人間と機械が笑い合う理想郷。

 エモーショナルですね。かなりグッと来る。

 このシーンを持ってヒューマギア労奴問題はいったん保留でいいと思う。エモいので。

 

 もちろん造り上げた世界が人間にとってはディストピアだったとしても、ウィルがヒューマギアの自由の為に戦ったのは間違いない訳で、だからウィルだって正真正銘仮面ライダーでした。

 僕はこの映画では、彼がいちばん好きなキャラクターです。

 でもあいつ何で普通にゼロワン以外に負けたんだろ…アナザーライダーとは…?

 

これもまた瞬瞬必生 

 ほんとアナザーライダーって何なんですかね。タイムジャッカーも未だに全然わからん。

 って言うか今作のジオウがTV版最終回の続きと考えたらOQの時系列がいよいよもって意味わからなくなるけど考えてみれば最初からよくわからない映画だったからそこは何の問題もない。

 記憶が戻り出した瞬間『明光院くん』の顔から『戦士ゲイツ』の顔になる押田岳氏の演技にほえーと感心していたんですが最終的に我が魔王がドスが利き過ぎて細かい演技とかよくわかんなくなってしまいました。常盤ソウゴをやれる役者は奥野荘以外に存在しねぇんだろうなとよくわからないなりにわからせられた。

 今作におけるジオウ組は舞台装置に徹したと言うところですが、そりゃまあ普通に敵勢力と正面衝突しちゃったら蹂躙しないと不自然になってしまうので当然ですね。ゼロワン本編の序盤ボス張ってる奴らをほぼ完封したの笑ってしまう。

 

 平ジェネFOのティードも大概よくわかんないやつでしたが今作のフィーニスもまあよくわからず、元々悪の存在であった『仮面ライダー』をお前らが歪めたのだから元に戻すだけという主張は言いたいことは分からないでもないけれどそれ本郷猛に直接言えよ、って感じです。

 そもそもあいつ本郷猛本人を悪落ちさせるとかの大ネタ仕込んでくる訳でもなくただ単にデカいだけのアナザーライダー用意しただけでどうやって時の王者に勝つ気だったのだろうか、無謀過ぎないか…

 でもジオウ要素がいまいち凸凹しているのはフィーニスが瞬間瞬間を必死に生きたからなので笑ってはいけない。笑うと蹴られる。

 

最後の平成ライダーから始まりの令和ライダーへ受け継がれるもの

 押さえつけてきた平成が溢れてきたと話題のジオウvsゼロワンラストバトルですが、カラっとしたタイマンみたいな空気感出してきたから一瞬騙されそうになったんですけどアレつまり殴って記憶飛ばすつもりですよね…? 平成令和のバトンタッチって軸に収まる狂気ではなくない…?

 突然の無体な暴力で何を受け継いだのか…何を受け継げるのか? 少し考えて、ふと気づきました。

 其雄がフォースライザー造る→先代社長が『仮面ライダー』を参照してゼロワン計画始動って順番なら其雄は『ゼロワン計画に関わるヒューマギア』じゃないからバックアップ造れるんじゃないの? とか、

 1型は暴走ヒューマギア元に戻せるっぽいけど何でその機能ゼロワンに引き継げなかったの? とか、

 先代のヒューマギアへの温度ああいう感じだったの…?とか、

 エイムズ組の最後の会話不穏じゃない…?とか、

 イズもう完全にシンギュラってない? とか、

 子供ヒューマギアがいたりヒューマギア学校があるってことはつまり改変後の世界のヒューマギアって成長すんの!? とか、

 アレです。

『意味があるのかないのか回収されるのかされないのか断言出来ないよくわかんないやつ』

 平成ライダーで沢山あったやつです。

 これを受け継いだのだと思う。

『こういうこともしていくからね』っていう確認。

 それがラストタイマン。

 一種の禊

 禊を終えた以上細かいことに文句をつけられなくなる無敵の防御です。

 

 という訳で僕の感想をまとめると『基本的にはまっとうにゼロワンのエピソードゼロなのでゼロワンを追うなら当然観た方がいい正統派冬映画』となります。楽しくてよい映画でした。

 あとレジスタンスにめっちゃおっぱい出してる女の人いたのが嬉しかった。

余談

 物分かりが良い風を装いたいので映画館の上映前の広告がどれほど長くても文句言わずに受け入れようと心掛けているんですが、TOHOシネマズで観せられた日本郵便のCMが滅茶苦茶しゃらくさくて何の捻りもなく普通にイライラしてしまって凄かったです。皆さんも年末、1800円を払い日本郵便の広告で普通にイライラしてみてはいかがでしょうか。年賀状のやつです。観ればわかります。あの年賀状を通したささやかな人々の繋がりを描いたくっだらねぇやつです。俺だけが不愉快になったのが許せない。お前たちも不幸になれ。もしお前があれを良いと思う人間だったら「そっか…」って言う。どうせ年末暇だろ。な?行けよ。

 な?

 あ?

 あ"あ"????

 ヴワ"ッッッッ!!!!!!

 

 

 

 

 

おわり

*1:https://www.toei.co.jp/movie/details/1215164_951.html

*2:ディストピア』は厳密な定義の元運用されてきた言葉じゃねぇんだからフワっと使っても何の問題もねぇだろうが派です

ぼくが最近午前六時半と午後四時頃に毎日排便しているということを頭の片隅に置いておいて欲しい

今週のお題「クリスマス」

 

 腸の働きが鈍いのか、出勤前の一度ですべてを出し切れなくて、労働の途中に第二波を排便する。これが最近のぼくの排便バイオリズムです。

 第一波けっこう早いな、って思うかもしれないんですけど、実はちょっと前まで始業直後の時間帯に急に腹がグルグルし出すのに困っていて、何とか排便タイミングをずらすために(かなり不本意ではあるんですが)早起きして時間のある内にひり出せるだけひり出しているわけです。それを覚えておいて欲しい。

 例えばある朝、少し早めに目が覚めてしまったあなたは、ベットの上でスマホを弄って時間を確認する。もしそのとき、画面に6:30と表示されていたのなら、ほんの僅かな時間でいい。

「anttenのやつ、今頃踏ん張ってるんだろうな」「いっぱい出ただろうかな?」「――臭いはどうかな?」

 そうやって、ぼくの排便に、思いを馳せて欲しい。

 

 あるいは、ある平日。定時が見えて来た午後。一息をついてふと見上げた時計の針が四時を指していたなら。あなたの職場で想像してみて欲しい。

「anttenのやつ、出せたかな」「紙に困ってないかな?」「――最悪指で擦っているかな」

 ちょっとでもいい、ぼくの排便について、考えて欲しい。

 

 もしくは、あなたに子供が産まれて、まだまだ手のかかる赤ん坊のおしめを替えるとき、ふと思い出して欲しい。

「anttenのやつ、今でも午前六時半と午後四時に排便をしているのかな」「固形の便も出るようになったかな?」「――肛門は切れていないかな?」

 いつまでも、ぼくの排便を、記憶の片隅に置き続けて欲しい。

 

 多くは望まない

 たった五秒でもいい

 五秒あれば何が出来る?

 例えば、誰かの涙を拭うことが出来るだろう

 その五秒を、ぼくの排便にくれないか?

  油っぽくて水に浮く糞便のためにくれないか?

 

 十人が排便を想えば、五十秒が集まる

 五十秒あれば何が出来るか?

 誰かの震える肩を抱きしめて、落ち着かせることが出来るだろう

 その五十秒を、ぼくの排便にくれないか?

 肛門からぽとぽと垂れる腸液のためにくれないか?

 

 百人が排便を想えば、五百秒が集まる

 五百秒あれば何が出来るか?

 涙の理由を聞きだして、寄り添うことが出来るだろう

 その五百秒を、ぼくの排便にくれないか?

 ほぼ液体の中に混ざるぶちぶちとしたゼリーのような糞便が、

 肛門を抜けるとき背筋に走る悪寒のためにくれないか?

 

 数万人が排便を想えば、数万秒も集まるから、

 あいつを泣かせたやつの元まで走って、こう言ってやることが出来るだろう

「おい、兄弟。どうしてあんなことをしたんだ、何を焦っているんだ?」って

 そうしたら、やつも泣き出して、不安を語るだろう

 そして、やつの話も聞いてやれば、拗れてしまった二人の仲を取り持てるだろう

 世界に小さな平和が戻るだろう

  その数万秒を、ぼくの排便にくれないか?

 ビビットな色に染まったトイレットペーパーと、

 尻を拭う指に伝わる粘土のような触感のためにくれないか?

 

 地球には百億の人々がいる

 こう思わないかい?

 百億人の五秒がひとつになったなら、この世に解決できない問題なんてひとつもない、って

 その五秒を、ぼくの排便のために使って欲しい

 ぼくの排便に思いを馳せて欲しい

 ぼくの排便のことを忘れないで欲しい

 理由なんて要らない

 愛に理由はないのと、同じように

 

 

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