🐶

 🐶は歴史上最も古くから我々に寄り添い続けてきた生き物とされているが、その歩みは必ずしも人間主導ではなく、例えばリードに繋がれ散歩をしている🐶に目をやれば飼い主を引き摺り思うままの方向へ走り出そうとする姿がよく見られる。これは「群れの中」の序列を重んじる社会性の高い生き物であるところの🐶が、飼い主を「自分よりも序列が下の雑魚」だと判断した結果の行動である。🐶は人間のことを舐め腐りがちで、品種改良を繰り返し性格がマイルドになった現代のペット🐶でさえそんな具合なのだから、大昔の野生の狼が人間の集落に近づき利害を一致させその野生を薄めていく長い長い過程で、多くの🐶が人をドチャクソに舐めまくっていたのは想像に難くない。

 一方で人間もまた、有史以来🐶のことを舐め腐り散らかし続けてきた。それは海の東西を問わず「underdog」だの「犬畜生」だの🐶をネガティブな意味で使うイディオムが数多く生み出されたことからも明らかだし、聖書なんかを引くとこうだ。 

 

聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。

 

マタイ7:6

 

 ひどくね?いや比喩だとしても「聖なるものの価値を理解できない人」を🐶に喩えるのはひどい。何でそこまで言うことがあるんだ。人間の最も古い友人であるところの🐶を!逆か?身近だからか?「人間はあらゆる獣の上位に立っている」から「もっとも身近な獣」であり同時に「人間のことを舐め腐ってくる生意気な獣」であるところの🐶なんてけちょんけちょんにしちゃうんだぜ、ということなのか?

 ともかくもヒトと🐶の歴史は舐め腐り合いの歴史だったに違いなく、そして種族単位のマウント合戦で勝利したのは人間だった。何故か。

 それは前述したような🐶舐めミームの共有による人間を🐶の上位に置く社会構造の自明化であったり生意気な🐶ガキをわからせるノウハウの体系化であったり、公的機関による野良🐶の排除の成果であったりして、逆に言えば言語や知恵の体系化も出来なければ保健所のひとつも運営できない🐶の敗北でもある。(人間は頭がいいので出来るが🐶は人間ほどにはよくないので出来ない)

 つまるところ知恵の勝利なのである。

 人類最強!

 英知が最強!

 すべてを支配する万物の霊長!

 👨👧👦👩<うぉ~~~~~!

 

 🐶<くぅ~~~~~ん……

 

 

 

 

おわり

 職場の傍の公園には枝を大きく広げたケヤキの樹が何本も伸びていて、今くらいの時期になると風に乗った枯れ葉がこちらの敷地にまで無限に転がり込んでくる。

 誰に具体的な指示を受けたわけでもなく完全に自主的な判断で賃金が発生しない早朝に好んで出勤し一片の不満も不服も抱かず納得尽くの態度で掃き掃除をしていた僕は、積もった枯れ葉の中にキアゲハの羽が埋もれていることに気が付いた。

 生きものなのだから死ぬこともあるだろう。羽を根元からもがれた虫が転がっていることそれ自体は驚くべきでもないけれど、思い返してみるに僕は蝶の死骸というものを人生で初めて見た気がする。何でこれまで機会がなかったのだろうか。あっという間に死んであっという間に朽ちるから?ホントか?

 だいたい虫って言うのは成虫に変態して交尾を終えた瞬間にエネルギーを使い果たすようなイメージがある。インターネットで調べたところによると(インターネットにはこの世のすべてが書いてる)やはり野生のキアゲハは成虫になってからは二週間程度の命のようで、蝉の成虫の寿命が一ヵ月程度らしいから何だよ蝉より蝶の方がずっと短命なんだな。蝉の死骸、夏の終わりにはどこを歩いても目に入るせいで「蝉の成虫の寿命は一週間しかない」俗説が長い間説得力を持ち続けたのだろうと思う。イメージ戦略の勝利。街路樹だろうと引っ付くことさえ出来ればミンミン鳴き続けガンガン交尾してボロボロ死んでいく過剰に哀れっぽい蝉に比べて、黙って生きてひっそり死んでいく蝶のなんと奥ゆかしいことだろうか!主張しないと損してたって誰にも気づいて貰えないんだな~~社会じゃん。

 ともかくキアゲハは枯れ葉と一緒にビニール袋に詰められ捨てられ、そのうちに燃やされて灰になる。まあ死後ゴミとまとめて灰になりがちという点で都会に生息するあらゆる昆虫に大差ないのだし、やはり死はすべてに対して平等であることだなあ。死にたくねぇ~~(もしこれが戯曲なら なんてひどいストーリーだろう 進むことも戻ることもできずに ただ早出して無償労働してるだけなのだから)~~!

 

 

 

 

おわり

オウム

 通勤の途中でふと空を見上げると、でっぷり太ったオウムが電線に留まっていた。南国めいてお目出度いエメラルドグリーンの羽毛をしみったれた日本人どもに見せつけるその佇まいは、労奴の身からすれば狭い鳥籠を蹴破り世界に羽ばたく自由を謳歌しているようにも見えたし、人間の庇護の外で生きる術を知らないペットが行く場所もなく途方に暮れているようにも見えた。

 そう言えば最近Fワードを連呼するヨウムが話題になった。(ヨウムとオウムって何が違うの?)

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 罵倒語が大量に飛び交う環境で育ったので罵倒語を大量に覚えたということなのだろう。僕が真下を通り過ぎる間オウムは何も言わなかった。オウムもヨウムもきっと似たようなものだし、類推するにこいつが何も言わないのは何も聞かずに育ったからに違いない。汚い言葉をかけられながら飼育されるのと無言で飼育されるのはどちらが良いんだろうな。鳥には許される言葉とそうでない言葉の区別なんて付かないだろうが、発話動作に含まれる悪意とか敵意は(危険なので逃げるか、危険ではないか、本能的に反応するだけで人間が想像するような“自我”を持つ訳ではないだろうけれど)わかる筈で、当然危険を感じ続ければストレスになるだろうから、やはり汚い言葉を言われて育つよりかは黙って世話される方がマシのように思う。

 別に優しい言葉をかける必要はない。優しい言葉とそうでない言葉の区別も当然できないだろうし、万が一区別できてしまったらそちらの方が面倒くさい。

「水に優しい言葉をかけると綺麗な結晶ができる」みたいなトンデモが学校教育の場で真面目に扱われた事が昔あったらしいけど、それを聞くたび思ったのが、ある言葉を「優しい」と判断するのは文脈とか聞き手の精神状態次第だということで、例えばめちゃくちゃ性格のねじ曲がった水は褒め言葉の裏をいちいち読もうとするんじゃないだろうか。

 

「ありがとう!」定型文だから言ってるだけで感謝はしてない。

「透き通っていて綺麗」褒められる中身がない。

「いてくれて助かる」ギリギリの人数で回してるから。

「こんな伸びると思わなかったよ」秒で辞めると思ってたわ。

「のんびりでいいよ」しゃしゃるな。

「○○さんに振るくらいなら君の方がいい」消去法で仕事を振っていることからも分かるようにお前は周りに有能がいないからギリギリ存在を許されてるだけで何かヘマをすれば当然○○と同じ扱いになるし、ここで○○をdisっているのと同じようにお前もまた居ない場所で馬鹿にされている。

「(中間管理職)に君をこっちに回して貰うように頼んだから」奴隷として使い潰してやるからな。

 うーんやっぱり無言の方がいいな。

 

 上司にオウムの話をすると、曰わく僕が目撃した辺りでは何年か前からオウムだかセイヨウインコだかの群れが野生化しているそうで、そのうちの一羽なのではないかと言う。

 あいつも社会をやっていたのだなぁ。おれにはできない。オウムにできることができない人間、それがおれ。

 

 

 

 

 

 

おわり