ジョジョランズ四巻を読んだ。八部に欠けていたポジティブなパワーが完全に取り戻されている。
ジョジョランズにおける『不条理』への抵抗は『厄災』を乗り越えていくのとは違ってウオオオ許せねぇぶっ殺す!!!というプリミティブな気持ちのように思う。“善とか悪ではないし環境とも関係ない”のは『厄災』と共通しているがスケールがもっと卑近なのが『不条理』で、世界の理ではなく人と人の間で交わされる出来事だ。自分に向かって来たらぶっ殺すけれど他者に向けることも普通にある。
直接描かれてはいないが、ドラゴナへの暴行を止めようとしていた青年はどう考えたって火傷を負って入院しただろうし、バス放火で被害を被った人間の全員が暴行を黙認していた訳でもないだろう。巻き込まれた側としては理不尽でしかない。
HOWLER側のスタンド使いだってそもそも自分達の所有物を守るための自衛をしていただけなのに、チンピラに土地奪われるのは不条理に違いあるまい。
でもジョディオはやる。向けられた不条理は許せないので積極的に攻撃するが、それはそれとして他人に不条理を向けることに抵抗はない……というピカレスクなのだなと思う。取って付けた人物設定ではなくて、一巻から読み返すと一貫していることに気づく。
最初はランズのこと令和最新版黄金の風なのかなと考えていたけど実際全然違ったかもしれない。護衛チームはギャングに堕ちるしかなかった人達だけどジョディオは産まれついての悪(ワル)だ。けれどサイコパスだって人格があって生きているので不条理には怒る。それこそ善とか悪とかの因果論ではなくて素朴な感情として。
悪党なだけで不必要に残酷ではないから今のところ人殺しはしてないけど、そのうちジョディオが敵を殺すとき、きっとその相手はジョディオや身内に不条理を押し付けてくる悪党だろう。ジョジョランズは悪人と悪人が鎬を削る漫画になるのだろうけれど、『亜熱帯の島々で大富豪になる』結末は決まっている。善因善果ではなくウオオオ許せねぇ奴らをぶっ殺して成り上がるぜ!!!の過程の物語なのだろうな。
ジョジョリオンの『厄災』概念には、それそのものに立ち向かうべきではない不幸もあるのでは…?というマクロな諦観があった気がして、それもまた真実のひとつというか東日本大震災直後に始まった漫画が同時代を描かんとする視点として理解できるんだけど、我々はミクロな人生を生きているからジョディオみたいな奴の怒りの方が読んでて小気味いい。ジョジョランズはある種の前向きなパワーを貰える漫画だ。
それはそれとしてアレどうやって倒すんでしょうね。本体見つける方法なくない?あっちから近づいてくるの待つしかないよな。
あと「グエエエ殺意マシマシ遠距離自動型スタンド!!」ってなったから良くも悪くもジョジョリオンが残した影響力は大きい。
