スパイダーバース観に行ったら面白密度で殴り殺された

 いつか死ぬとすれば病気か労働にやられるものだとばかり思い込んでいたので、まさかスパイダーマンに殺されるとは予想もしていなかった。いま地獄でこの文章を書いている。こっちは現世に比べればずっとよいところです。

 

 さてスパイダーバースだ。TOHOシネマズのTHXスクリーンに座ったぼくがどんな鑑賞体験をしたのかと言えば、「オラッ面白いだろッ次はこれだッ次ッ!これもくらえッ!」と言わんばかりの面白映像連続ヘビーブローで肚を殴られ続ける二時間であった。

 実際面白いのだからこちらには反撃の余地などない。物語上の実質的な主人公、マイルズ・モラレスという有能だが未熟で、善良だが現状に不満を抱えた少年のひととなりを面白わちゃわちゃ3DCGの暴力で強引に知らしめ嫌でも彼のことを好きにさせる序盤シークエンス、この時点で「この映画ずりーわ映像が良すぎるもん」と圧倒されるがこんなものは全体のプロローグに過ぎなかったのである。

 デカい画面の中で全てのオブジェクトが常に何らかの意図を与えられ、それぞれに気の利いた演出でそれぞれの「面白」を示す。絶え間なく「面白」を供給される僕の口元は自然に緩み、瞬きなど身体が許さない。整理された混沌とでも呼ぶべき画作りにどれほどの手間がかかっているのか想像すらできず、「これ初見で全部把握できる奴いるのか?」と密度に恐怖すら感じる。そしてそれは物語が進みアクション要素が強くなっていっても変わらない…と言うよりむしろ過剰になる。

 わちゃわちゃする街の中を激しく動き回るスパイダーマン、彼らをぐりんぐりんと追うカメラワーク。そしてハチャメチャにオシャレなエフェクト!(スパイダーバースの陰の主役はオシャレエフェクトだと断言しても問題ないだろう!)2Dアニメーションでも実写でもなく、3DCGという表現方法だからこそ可能な自由度が2019年の最新技術で大爆発しているのである。あるいはスイングでNYを飛び回るスパイダーマンという存在がそもそも3Dアニメーションと相性が良かったのかもしれない。

 そして、個人的にとんでもないなと思うのが上記のどちゃクソにド派手な映像が、「マイルズ・モラレス」の物語に必要な演出と過不足なく完全に噛み合っていることだ。どうやってんだろうこれ? 脚本を映像を交互に参照しながら平行して構築した…? まったく途方もない。

  スパイダーバースはまだ「ヒーロー」に至らない未熟な少年が伸し掛かる運命と対決する物語だ。ただ映像が凝ってるだけのアトラクションムービーでも全然良かったのに、それだけで満足できる程の「面白」が映像に詰まっているのに、しかしアトラクションムービーであるよりも以前に新スパイダーマンの誕生譚なのである。

 マイルズの物語を最高の水準に押し上げるために奉仕する映像の洪水、面白圧力の連続パンチの前に「死ぬっ死ぬっ」 と喘ぐ以外に方法はなく、二時間ぶっ通しで面白に殴られたものだからエンドロールが上がったとき僕は二時間ぶっ通しで拳に殴られたのとさほど変わらないような消耗具合だった。ふらふらと覚束ない足元で大スクリーンを後にすると、フロントに並んだ椅子に空きを見つけて倒れるように座り込み、残った体力を振り絞ってTwitterに簡単な感想を書いた。

 そして…ひと息をつくと、僕の手からスマートフォンが零れ落ちた。

 屈んで拾おうとするが身体が動かない。当然だ、僕は二時間殴られ続けたのだ。映画が終わるまで命が持ったのがむしろ奇跡だったのだと言えるだろう。

 全身から命の火が消えるのを感じ、視界がブラックアウトする…

 かくして僕はスパイダーバースに殺されたのだった…

 

  面白で死にたい人は全員観に行くべきだと思います。たぶんなるべく設備の良い映画館を選んだ方が死ねる。

 以下ネタバレあり

 

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 余談。

 このマイルズの「ストリートのガキ」風ファッション最高にカッケーのと同時に「仮面ライダーゴーストって本来こういう方向性目指してたのでは…?」と思った。スーツアクターさんがマッシブだっただけでさ…

 

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 閑話休題

 この映画の最大の盛り上がりはやはりマイルズが叔父の死、そして父親の愛に向き合い「跳んで」、この世界の新たなスパイダーマンとして君臨するあの最高に熱くて爽快でやっぱりワチャワチャしている一連のシークエンスだろう。

 考えてみれば平行次元のスパイダーマン(ウーマン)(豚)たちが余りにも個性豊かな為に忘れそうになってしまうが、彼ら彼女らも言わばマイルズというヒーローが走り出すための補助輪のような役割を担っていた。

 繰り返すようにスパイダーバースはマイルズの映画で、「スパイダーマン:スパイダーバース」ってより「マイルズ・モラレス:オリジン」が正しいタイトルなのだろう。

  唐突に降ってきた運命に苦悩し、唯一の逃げ場であった叔父を最悪の形で失い、自分の無力を突きつけられ、一度どん底に落ちた少年が再起し――歴々ヒーローと肩を並べる、つまりは個人紙を持つ、 メタ的な意味で「スパイダーマンというヒーロー」になった演出のなんと気持ちの良いことか! 僕たちは彼の苦悩を一時間以上ずっと見守っていたからな。というか映像の力でむりやり画面にくぎ付けにされていた訳だけれど。ともかくマイルズに感情移入するように仕向けられた僕のテンションはまんまとぶち上げられてしまった。世界最高峰のクリエイターの手のひらの上で転がされる喜び。

 

 ところでちょっと悩んだ部分があって、と言うのも平行世界のスパイダー達の中で特に焦点が当てられる(駄目な方の)ピーター・パーカー、中年太りのオッサンと化してしまった彼とマイルズの関係は師匠と弟子、ベテランヒーローとサイドキック、というだけでなく、疑似父子として見るべきだったんだろうか? ピーターがさりげなく子供の話をし始めたとき、僕はそれをどう咀嚼したものか考えた。

 少なくとも(飯の喰い方が汚い方の)ピーターがマイルズを庇護し導く者、として描かれていたのは事実だ。

 「スパイダーマン」としてはともかく「ピーター・パーカー」としては堕落してしまった彼がマイルズの手を引くことを通して人間的に再起する…という話には全然ならなかったのが個人的には凄く嬉しかった。それやったらピーターの話になってしまうから。

 マイルズは(MJと離婚した方の)ピーターの自己犠牲を拒否して自ら戦うことを選び、ピーターは結局のところマイルズとはあまり関係なく自分で再起するきっかけを見つけた。

 もし「ピーターとマイルズ」に「父と子」という関係性を代入するならば最も注目するべきは二人の別れのシーンなのだろう。

 面白暴力ド派手ワームホールCGにピーターを落とし、ついでも言えば物理的に上に立ったマイルズ。

 ピーターが加速器を道連れに死ぬ必要などなかった。何故ならばマイルズもまた「スパイダーマン」なのだから。初めにこの世界のピーターを死なせてしまった時とはもう違うのだ。彼らは対等な「スパイダーマン」同士でリスペクトし合うという地平に辿り着く。

 そしてピーターを見送ったマイルズは、独力で持ってキングピンを打倒した。

 未来しかないヒーローが過去に囚われたヴィランを制し、その覚醒と戦いは実父との関係性の昇華をもたらした。この構図を見れば、もしかすれば「スパイダーバース」は少年の成長譚であると同時に、“父親”の子離れの話であったのかもしれない。

(太ってる方の)ピーターとのある種ドライで、さっぱりした師弟関係は、父子という精神的関係を描く上での現代的なアプローチであったようにも思える。父親っぽい父親が弱者を庇護する話なんて今どき流行らないのかもしれない(穿ち過ぎか?)

  ともかく新ヒーローは3DCGの祝福と共に誕生し、そして僕は死んだのであった。

 まあ死ぬなら死ぬでそれでいいけど、マジな話二時間全然気を抜けるタイミングがないのは辛い人には辛いかもしれない。(まあゆったりとしたペースの話を観たい気分の人が選ぶような映画ではないか)

 

 ちょっと調べたらを異次元組をもっと掘り下げて欲しかった…という意見をちょいちょいと見るが個人的にはそうでもなくて、この物語はマイルズ・モラレスという新たなヒーローの誕生譚であるのだからこの塩梅でちょうど良いと思う。もちろんペニーは可愛かったけど。

 たぶんこれ観る画面がデカければデカい程よく小さければ小さい程それなりになってしまう映画だから、ソフトなり配信で後々再視聴したときにどれだけ満足できるのか不安ではある。

 

  後は…グウェンのアクションをもっと観たかった。あのゴムっぽいスーツの尻最高にエッチじゃなかった?

 そもそもスパイダーマンがどっかに張り付くときのさ、あのポーズさ、エッチだよね、エロ蹲踞みたいでさ…エロ蹲踞良いよね…

 エロ蹲踞…

 

 最低のまとめだ。

 

おわり