今週のお題「2020年上半期」
あらゆる行動はすべて他人に嫌われる可能性を孕んでいるが、生きている状態を維持するには必ず何かしらの行動をしなければいけないので、生きるのはハズレの混ざったくじを引き続けるのと同じことである。だが絶望することはない。必勝法はある。死ねば行動そのものが物理的に発生しなくなるので(生前まで遡って評価がひっくり返るようなデカいやらかしでもない限り)それ以上のマイナス評価を受けることがない無敵状態になれるのだ。
なのでほんとうに心の底から誰かに好かれたいのならお金をたくさん渡した後すぐ死ぬのが正解なのは異論もないだろうけれど、「誰かに好かれたい」は多くの場合において「誰かに好かれていることを実感したい」の言い換えだ。死ねば実感をすることは出来ない(死んでいるため)。故に誰も好かれるための自殺をしていない。
つまるところ、ほんとうのことだからって顧みられるとは限らないのである。「孝行がしたいときに親はなし」のほんとうの意味が「ある程度の不仲なら相手が死んだ後『もっと歩み寄っておけばよかったなあ』と緩みがち」だと気づいたって家族関係を修復するために死ぬひとは(いたら滅茶苦茶にカッコいいとは思うけど)いないし、「禍福は糾える縄の如し」のほんとうの意味が「今は楽しくても生きてる限りいつか絶対嫌なことがある」だと分かっていても幸福なうちに死に逃げしようとするひとは(いたら滅茶苦茶にカッコいいとは思うけど)いない。
それが悪いことだと言っているのではなく、人間はほんとうのことから都合よく目を背けるだの説法したいのでもなく、もちろんあなたに死ねと迫っているのでも当然なくて、まあそんなもんだよねってだけの話だ。善良であれば死後天国に行ける、頑張れば報われる、自分には社会と結びついた役割がある、自分のやっていることには意味がある、意味なんかなくても楽しければいい等々、生活をしていくにはどうやっても嘘を信じずにはいられないし、“何のためにどうやって生きればいいのか”を示してくれる嘘よりほんとうのことを選ばなければいけない理由はどこにもない。
どこにもない……が、ほんとうのことはほんとうのことで、嘘は嘘、それはほんとうだ。ほんとうは、ほんとうのことなんて誰かに教えられるものではなくて、内側からわき上がるほんとうに純粋な自分の意思であるべきだ。だからこそ嘘は誰かの用意した丁寧な道標で、きっとほんとうのことは誰もどこにも導いてはくれないだろう。それでも、それだとしてもほんとうの道をほんとうに歩めたのならば、それはほんとうの人間のほんとうの人生だ。嘘のないほんとうのことがそこにはほんとうにある。
『何が「ほんとうのこと」だよ、お前が勝手にそう言い切ってるだけだろ』とお怒りの読者もいるかもしれない。でも聴いてくれ、ぼくは皆に幸福になって欲しいし、皆が自分の人生に納得すればいいと、そう願っているんだ。ほんとうのことだよ。
以上が2020年上半期の総括です!
下半期も頑張って~~~~~~いきまっしょい!!!!!