フェイクドキュメンタリーQやTXQ FICTIONの功罪と言うべきか。それ自体は怖くない筈の被写体を不気味に歪ませたサムネイルが目に入った瞬間「オッ!考察系ホラー!」と脊髄で反射してしまった人も少なくないだろうし、不穏で断片的なショートクリップを小出しにしていく公式アカウントの宣伝方法にはここ数年のネットホラーブームにあやかろうした雰囲気も割とあったりするのだが、「幽霊の日記」は実のところ素晴らしく綺麗な構成の短編SF映画だったのでホラーが苦手な人でも問題なく楽しめるのではないだろうか。
尺の割に要素の多い話なのだけれど散漫には感じない。どうしてその部分をそう撮る必要があるのか、という自問自答を経たような洗練がある。
単に伏線回収が決まってるだけではなくて、映像に寂寥感があるだけでなくて、静かで穏やかな演出が心地よいだけでなくて、「その伏線を回収することで物語が持っている感情みたいなものはどう変化するのか」「主人公を寂しさ虚しさで追い詰めた先に何が描けるのか」「BGMをほぼ廃してどこかノスタルジックな空間を演出することに何の効果があるのか」という問いにきちんと答えがあり、それぞれの要素が立体的に絡み合ってギミック頼りじゃない骨太の映画として纏まっている。
多くを語らない結末にも意味があるのだろう。口にしてしまえばあっという間に陳腐になってしまう種類の感情もある。語らずに語るからこそだ。これは映像媒体の強さだと思う。
語り口に必然性のある作品はそうでない作品よりもどうしてもひとつ上の棚に置いてしまう。「幽霊の日記」は心の中の棚の上の方に置きたい。